第36話 先住民族の末裔(まつえい)の弁慶が無念のうちにこの世を去った [ミステリー小説]
猿信仰
神田(かみた)は、今こうして高見刑事に話しながら、先人の深い情念にある種の感動を覚えた。
「ま、宮島っていえば鹿と猿だからね」と高見刑事は冗談めかして言って、思い出したように、
「だけど、宮島の猿は小豆島(しょうどしま)から連れてきたって聞きましたけど?」と、付け加えた。
「そうです。よくご存知ですね。明治の頃は野生の猿がいたらしいですけど、それは楊枝屋(ようじや)さんのペットだったようです。でも、もっと昔には野生の猿がいてもおかしくはないでしょうけど」神田は、以前、宮島町史を編集する時に調べたことを思い出した。
「それに、日本には猿信仰というのがありましてね、猿は神様だとして信仰されて・・・」とここまで言って神田は、
「そうかー」と、あることを思い出して、椅子の背もたれに体を預けた。
「どうしました?」高見刑事はびっくりして神田の顔を見た。
「猿が水先案内人っだってことは、魏志倭人伝(ぎしわじんでん)にも書いてあったことを思い出したんです」と、神田は目を見開き、声高に言った
「魏志倭人伝に?」高見刑事は、また、難しい話になってきたなという表情を浮かべた。
「ええ。中国に船で行く時に縁起をかついで、髪はボサボサ、体は垢(あか)だらけ、肉も食べない、そんな人間をひとりだけ連れて行ったようなんです」
「へー、何のために?」
「海が荒れないようにということで、その男を祀(まつ)ったようです。持衰(じさい)というんですがね」
「へー。そりゃ、まるで猿だな」
「でしょ!私も、その表現から猿を想像しましたよ」
「猿は海の神様でもあったんじゃないかなぁ」と神田は腕組みをした。この考えを咲姫(さき)ならどう思うだろうか、と、ふと思った。
高見刑事は、
「そうすると、確かに話がスムースに繋(つな)がりますね」と、今までの話を頭の中で思い浮かべ、
「宮島には猿が居て、猿田彦が居て、天狗が居て、烏(からす)が居て、それらは全てが水先案内人だということになる」と、自分自身に言い聞かせるようにつぶやいた。
「それらは、弁慶に繋がってくる。つまり、宮島には弥生人以前の先住日本人の痕跡が色濃く残っているわけですよ」神田も、咲姫(さき)の考えが正しいことを改めて感じた。
「うーん」と高見刑事は、唸(うな)り、
「で、それと、例の鉄の棒はどういう関係が?」と、神田に尋ねた。
「弁慶は、その先住民族の末裔(まつえい)だったんでしょう。その弁慶が無念のうちにこの世を去ったわけですから、頼朝が恐れていた弁慶の魂を封じ込めるには、弁慶の先祖が祀(まつ)られている宮島が相応(ふさわ)しい、と大江広元(おおえのひろもと)は考えたんでしょうね」神田は、咲姫(さき)が言った、出雲大社や宇佐神宮の四拍手(しはくしゅ、よはくしゅ)の件を思い出した。
「木野花(このはな)さんの考えだと、お墓や、神社は、亡くなった人に、あなたは亡くなったんですよ、だからもうこの世に出ないでくださいね、とその魂を閉じ込めるという意味がある、ということです」そう言って、コーヒーカップに口をつけた。
「なーるほど。それには同感しますね。確かに、祟(たた)りなんていうのは、だいたいのところ、お墓参りをしたり、神社にお参りすると、解決しますからね」高見刑事は意外に真面目な表情でそう応えた。
「へー、高見さんから、祟り、なんていう言葉が出てくるとは思いませんでしたよ」
神田がそう言うと、高見刑事はいくぶん照れながら、
「いや、いや、私はこう見えても、結構信心深いんですよ。ははは」と笑った。
「ところで、その後、中国大使館の動きはどうなんですか?何か情報は?」神田は声を低めて聞いた。
「いや、例の、ここにも来た例の三人組は富士山頂から下りて、すぐに中国へ帰ったようですが、そこまでは警察庁から聞きましたが、その後の動きは何も聞いていません」高見刑事はそう言うとおいしそうにコーヒーを一口飲んだ。
神田は、
「と言うことは、連中、三本目の鉄の棒はあきらめたのか、それとも必要ないのか」と言うと、ふと思いついたように、
「あるいは、三本目は、もう日本にはなく、そのことを知っているので、さっさと引き上げたのか」と、ひょっとすると、そうなのかもしれないな、という気がした。
「しかし、木野花さんの推理では、三本目の鉄の棒は熱田神宮にあるんでしょ?・・・」と、高見刑事は言うと、
「おーっと、だめですよ、神田さん。さっきも言ったばかりでしょ。この一件にはもう手を出さないで下さいよ」と、手帳を背広のうちポケットに納めながら、左手の人差し指を神田に向けた。
神田は苦笑いしながら、
「わかっています。ただ、この件には、なんだか、個人的にも関わりが出てきたようなので」と、天井を見上げた。
「個人的な関わり?何ですか、それは?」眉を寄せて高見刑事は聞いた。
「いや、まだはっきりとは分からないんですが、木野花(このはな)さんが言うには、この鉄の棒の一件と、私の学生時代の先輩が何らかの形で関わっているんじゃないかと言うんですよ」そう言いながら頭の後で両手を組んだ。
「まさか、そんなことは・・・」ないでしょう、という言葉を、高見刑事は、飲み込んだ。
「とは思うんですがね。なにしろ、彼女の言うことは・・・」と神田が言い終わらないうちに、高見刑事は、
「結構当たってますからね」そう言うと、真剣な顔になった。
そして、2005年も終わりかけた頃、咲姫から驚くべき報せがもたらされた。
神田(かみた)は、今こうして高見刑事に話しながら、先人の深い情念にある種の感動を覚えた。
「ま、宮島っていえば鹿と猿だからね」と高見刑事は冗談めかして言って、思い出したように、
「だけど、宮島の猿は小豆島(しょうどしま)から連れてきたって聞きましたけど?」と、付け加えた。
「そうです。よくご存知ですね。明治の頃は野生の猿がいたらしいですけど、それは楊枝屋(ようじや)さんのペットだったようです。でも、もっと昔には野生の猿がいてもおかしくはないでしょうけど」神田は、以前、宮島町史を編集する時に調べたことを思い出した。
「それに、日本には猿信仰というのがありましてね、猿は神様だとして信仰されて・・・」とここまで言って神田は、
「そうかー」と、あることを思い出して、椅子の背もたれに体を預けた。
「どうしました?」高見刑事はびっくりして神田の顔を見た。
「猿が水先案内人っだってことは、魏志倭人伝(ぎしわじんでん)にも書いてあったことを思い出したんです」と、神田は目を見開き、声高に言った
「魏志倭人伝に?」高見刑事は、また、難しい話になってきたなという表情を浮かべた。
「ええ。中国に船で行く時に縁起をかついで、髪はボサボサ、体は垢(あか)だらけ、肉も食べない、そんな人間をひとりだけ連れて行ったようなんです」
「へー、何のために?」
「海が荒れないようにということで、その男を祀(まつ)ったようです。持衰(じさい)というんですがね」
「へー。そりゃ、まるで猿だな」
「でしょ!私も、その表現から猿を想像しましたよ」
「猿は海の神様でもあったんじゃないかなぁ」と神田は腕組みをした。この考えを咲姫(さき)ならどう思うだろうか、と、ふと思った。
高見刑事は、
「そうすると、確かに話がスムースに繋(つな)がりますね」と、今までの話を頭の中で思い浮かべ、
「宮島には猿が居て、猿田彦が居て、天狗が居て、烏(からす)が居て、それらは全てが水先案内人だということになる」と、自分自身に言い聞かせるようにつぶやいた。
「それらは、弁慶に繋がってくる。つまり、宮島には弥生人以前の先住日本人の痕跡が色濃く残っているわけですよ」神田も、咲姫(さき)の考えが正しいことを改めて感じた。
「うーん」と高見刑事は、唸(うな)り、
「で、それと、例の鉄の棒はどういう関係が?」と、神田に尋ねた。
「弁慶は、その先住民族の末裔(まつえい)だったんでしょう。その弁慶が無念のうちにこの世を去ったわけですから、頼朝が恐れていた弁慶の魂を封じ込めるには、弁慶の先祖が祀(まつ)られている宮島が相応(ふさわ)しい、と大江広元(おおえのひろもと)は考えたんでしょうね」神田は、咲姫(さき)が言った、出雲大社や宇佐神宮の四拍手(しはくしゅ、よはくしゅ)の件を思い出した。
「木野花(このはな)さんの考えだと、お墓や、神社は、亡くなった人に、あなたは亡くなったんですよ、だからもうこの世に出ないでくださいね、とその魂を閉じ込めるという意味がある、ということです」そう言って、コーヒーカップに口をつけた。
「なーるほど。それには同感しますね。確かに、祟(たた)りなんていうのは、だいたいのところ、お墓参りをしたり、神社にお参りすると、解決しますからね」高見刑事は意外に真面目な表情でそう応えた。
「へー、高見さんから、祟り、なんていう言葉が出てくるとは思いませんでしたよ」
神田がそう言うと、高見刑事はいくぶん照れながら、
「いや、いや、私はこう見えても、結構信心深いんですよ。ははは」と笑った。
「ところで、その後、中国大使館の動きはどうなんですか?何か情報は?」神田は声を低めて聞いた。
「いや、例の、ここにも来た例の三人組は富士山頂から下りて、すぐに中国へ帰ったようですが、そこまでは警察庁から聞きましたが、その後の動きは何も聞いていません」高見刑事はそう言うとおいしそうにコーヒーを一口飲んだ。
神田は、
「と言うことは、連中、三本目の鉄の棒はあきらめたのか、それとも必要ないのか」と言うと、ふと思いついたように、
「あるいは、三本目は、もう日本にはなく、そのことを知っているので、さっさと引き上げたのか」と、ひょっとすると、そうなのかもしれないな、という気がした。
「しかし、木野花さんの推理では、三本目の鉄の棒は熱田神宮にあるんでしょ?・・・」と、高見刑事は言うと、
「おーっと、だめですよ、神田さん。さっきも言ったばかりでしょ。この一件にはもう手を出さないで下さいよ」と、手帳を背広のうちポケットに納めながら、左手の人差し指を神田に向けた。
神田は苦笑いしながら、
「わかっています。ただ、この件には、なんだか、個人的にも関わりが出てきたようなので」と、天井を見上げた。
「個人的な関わり?何ですか、それは?」眉を寄せて高見刑事は聞いた。
「いや、まだはっきりとは分からないんですが、木野花(このはな)さんが言うには、この鉄の棒の一件と、私の学生時代の先輩が何らかの形で関わっているんじゃないかと言うんですよ」そう言いながら頭の後で両手を組んだ。
「まさか、そんなことは・・・」ないでしょう、という言葉を、高見刑事は、飲み込んだ。
「とは思うんですがね。なにしろ、彼女の言うことは・・・」と神田が言い終わらないうちに、高見刑事は、
「結構当たってますからね」そう言うと、真剣な顔になった。
そして、2005年も終わりかけた頃、咲姫から驚くべき報せがもたらされた。
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