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第3話 神の島を襲った60年振りの山津波であった [ミステリー小説]

 2005年(平成17年)9月 広島・宮島

 神田龍一(かみたりゅういち)は今、雨に打たれながら身をかがめて、この30年以上前の出来事を鮮(あざ)やかに思い出していた。その後、修道館大学の運動部は、全ての公(おおやけ)の活動には1年間参加できなかった。暴力団の大木会は広島県警の頂上作戦により、壊滅に追いやられ、郷戸(ごうど)は大木会の刺客に追われ姿を消した、と言う噂を聞いた。あの時、一緒に闘った仲間とは卒業以来一度も会っていない。そして、10年前からは宮島観光推進協会の仕事も忙しくなり、拳法の練習からは自然と遠のいていた。

 雨と風は一層激しさを増し、渡辺は、警察を呼びに行ったまま帰ってこない。神田(かみた)は、合羽(かっぱ)のズボンと上着を脱ぎ、着ていたシャツとズボンも脱ぎ捨て、体を動き易くし、肩を回し、拳(こぶし)を握り、広げ、屈伸運動を始めた。
 「今の俺は、あの男に勝てるだろうか?」



 宝物館(ほうもつかん)の壊された窓から男が現れた。男は、「スルッ」と、頭から回転しながら飛び降りた。飛び降りたそのままの姿勢で、片膝をついて、あたりを見回し、警戒している。やがて、すっく、と立ち上がった。頭はスキンヘッドで、素っ裸だと思っていた腰の前部分は、黒い小さな革か布の様なもので覆(おお)っている。大胸筋は発達し、手足の長い格闘家の体だ。雨にうたれて体は光り、男の体は一層大きく見える。改めてこうして見ると、2m近い長身だ。男は黒い巻物ののようなものを口にくわえ、こちらを獣(けもの)のように凝視している。

 「気付かれたか!?」
 神田(かみた)は、
 「今の俺には、この男は倒せそうもない」そう思ったが、ゆっくりと立ち上がり、男のほうへ一歩進み出た。

 「何をしている!!」
 返事はない。もう一歩、前へ出た。男は動かない。男との距離は6m。さらにもう一歩進んだ。男は動かない。
 「どういうつもりだ・・・」
 その時、宝物館の裏に黄色い合羽が見えた。渡辺が警官を連れて戻ってきたのだ。男はそれに気付いて「俺と警官達の距離を測っているのだ」と知った。神田(かみた)はジリジリと間をつめた。

 「何をしている!!」
 警官が3人、警棒を伸ばして、後ろから声をかけた。男は、それには何も答えず、神田のほうを見たままだ。三人の警官はお互いの距離をあけ、男を、神田と共に囲む体勢を作ろうとしたが、「バッ!!」と、それより速く神田に向かって駆け出してきた。神田は、身構え、警官は、男を追って、男の背中へ向かって走った。



 男は、神田(かみた)の手前2mで体を伏せ、「ビュン」と、体を伸ばしたかと思うと、後方へそのまま回転して、追って来た警官達の頭上を、背中を下にして飛び越した。警官達は、獣が頭上を飛び越えたかのように、思わず頭をかがめた。神田は、警官の間をすり抜け、着地した男に組み付いた・・・かのように思ったが、「スルッ」と、神田の腕は空をつかんだ。男は振り向きざまに左裏拳を放った。神田はかろうじて、左手で払い、体をかがめながら、得意の右横蹴りを放ったが、男はあっさりとそれをかわし、巻物のようなものをくわえたまま、左頬を、ゆるめ、「ニヤッ」と笑ったように思えた。男は、大聖院(だいしょういん)方向へ走った。大聖院は、真言宗御室派(しんごんしゅおむろは)の大本山であり、関西屈指の名刹(めいさつ)で、厳島(いつくしま)の総本坊である。このまま行くと、空海が修行した、霊火堂(れいかどう)、弥山本堂(みせんほんどう)を経由して弥山(みせん)山頂へと続く。

 「待てーっ!!」
 警官達は叫んだが、男は、あっというまに、強い横殴りの雨と、弥山から吹き下ろす強風の中に入り込んだ。神田(かみた)は、追わなかった。男の裏拳は間違いなく手加減されたものだった。得意の右横蹴りも難なくかわされてしまった。全く歯が立たなかった。

 その時、遠くから「メリ、メリッ!!」「ガガッ!!」という地を揺さぶるような音と共に、あたり一面に土のにおいが漂ってきた。



 大聖院と厳島神社をつなぐ通りは、小さな商店や民家が並ぶ、門前町のようになっており、その通りは、やがて、V字型の谷になり、谷に沿って、参道が弥山(みせん)山頂へとつながっている。その谷の上部から、雨と風の音に乗って、生木(なまぎ)を裂く音が聞こえてきた。地面は揺れ始め、腹に響く地鳴りが聞こえてきた。
 「逃げろー!!」
 「山津波(やまつなみ)じゃー!!」
 警官達が叫びながら、必至の形相で駆けてきた。
 茶色の巨大な生き物が、うねるように迫ってきた。その巨大な生き物の頭には、松の木が何本も生え、背中には大きな石のこぶが何個もある。狭い道を、獣と化した泥が、商店のドアを飲み込み、民家の玄関を押し破り、そのまま、頭は厳島神社へと向かった。神田(かみた)達は、間一髪で高台に逃れ、呆然(ぼうぜん)とその巨大な獣の背中を四つんばいになって見つめた。

 神の島を襲った60年振りの山津波であった。



 渡辺と警官達は、山津波がうねりながら白糸川(しらいとがわ)に流れ込み、あふれ出した泥と岩が道を埋め尽くすのを眺めるばかりであった。渡辺は、その後当分の間、海の波を見てもめまいを感じるほどの後遺症に悩まされた。
 神田(かみた)は山津波のやってくる暗闇を見つめていた。
 「あの男は、何者だったんだ」
 「あいつ、これに飲み込まれたかのう」警官の一人がつぶやいた。 
 「これに飲み込まれたら、助からんじゃろう」もう一人の警官が、うねる泥を見ながらつぶやいた。

 夜が明けて、被害の全貌が明らかになった。厳島神社は、前年2004年(平成16年)の台風18号では、重要文化財である厳島神社の回廊や左楽房が倒壊するなどかなりの被害に遭ったが、今回の台風14号では、幸いなことに、神社そのものへの被害は少なかった。しかし、神田(かみた)達が直接眼にしたように、雨による、土石流は、町に甚大な被害を与え、雨と風は、女神の肌に大きな傷跡を残した。



 その夜、神田(かみた)は自宅へは帰ることが出来ず、警官達に派出所で事情聴取され、そのまま、派出所で仮眠を取った。夜が明けてからは、宮島観光推進協会の事務所で、マスコミ、旅行会社など、各方面から、台風被害についての問い合わせや、実際の復旧作業の陣頭指揮に忙殺され、気がついたときには、日も暮れかけていた。事務所でやっと一息つき、コーヒーを飲んでいるとき、昨夜の警官の一人が、本署の刑事とやってきた。

 「やあ、神田(かみた)さん、お疲れさんです。こちらは、本署の高見さんです」
 「高見です。よろしくお願いします」
 「や、」と、高見と名乗った刑事は、既に、事務所内に陣取ってフェリーの改札口を見張っている二人の刑事に軽く手を上げて挨拶した。色黒で白髪交じりの短髪で、定年前の、いかにも叩き上げといった感じだ。宮島観光推進協会の事務所はフェリー乗り場の建物の二階にあり、改札口を行き来する人間のチェックに好都合の場所にあるのだ。

 「神田です。ま、どうぞ」と、椅子をすすめた。
 「昨夜はどうも大変だったようですね。いや、大筋は、彼から聞いているんですが」と、警官のほうを持ち出した手帳で指した。
 「高見さん、私はこれで・・・」警官は高見に敬礼し、神田にも軽く会釈をして去っていった。
 「彼も、昨夜から動きどうしだろうが・・・」と、疲れきった警官の背中を見つめた。
 「あ、ごくろうさん」刑事は、警官に言って、再び、神田のほうに向き直った。
 「で、土石流の現場から何か?」神田は、コーヒーを飲みながら立ち上がり、刑事のためにコーヒーを淹れた。
 「こりゃ、どーも」高見刑事は、カップを受け取りながら「男の遺体ってことですか?」と言った。
 「いや、まー、手がかりになるようなものとかは?」神田は、言葉を濁(にご)した。
 「今んとこは、まだ何も。ただね、さっき、宝物館(ほうもつかん)の館長に聞いてみたんですが、よく分からん、って言うんですよ」
 「よく分からん、とは?」神田は、椅子に腰掛けながら、尋ねた。
 「被害がですね。奴が忍び込むのに壊したガラス窓と、展示ケースのひとつが壊されていたということなんですが・・・」
 「金庫室は?」言葉をさえぎって神田は聞いた。
 金庫室には、国宝をはじめ、重要文化財が何百点も収納されている。「それが狙いのはずだ」と思っていた。
 「異常がないんですよ」高見刑事は背中を椅子の背もたれに預けた。
 「異常がない?あの男は、確かに、口に巻物のようなものをくわえていたけど、あれは、平家納経(へいけのうきょう)だと思ったんですけど」

 展示場には、通常、国宝級のものは、レプリカが展示されており、本物は、年一回の特別展にだけ展示される。「まさか、あの男、レプリカを盗み出したのでは?」だとすると、間抜けな話だ。
 「いや、展示されている、レプリカもそのままなんですよ」
 「え? じゃ、何が?」
 「それなんですがね」高見刑事は、腕を組んで、神田を見た。



 「何でも、戦後、GHQ(じー・えいち・きゅー)の命令で紅葉谷(もみじだに)で工事が行われたそうじゃないですか」高見は手帳を繰りながら言った。
 「ええ、終戦直後の1945年(昭和20年)の9月の枕崎台風(まくらざきたいふう)のとき、宮島も相当な被害をこうむりましてね」神田(かみた)はコーヒーを一口すすって続けた。
 「あの時も、今回と同じようなコースでしたしねェ。土石流の被害も相当出ましてね。今の紅葉谷公園(もみじだにこうえん)は、その復旧工事でできたんですよ。確か、工事は、その3年後から始まったと・・・」

 「そうらしいですね。館長さんもそういってました。で、その工事の時、鉄の棒が土砂の下から出てきたとか。ちょうど、巻物のような」
 「巻物?じゃあ、なくなったのは、その巻物だと?」
 「そうらしいんですよ」
 「それで、当時の工事関係者が、発見者ですがね、GHQには内緒で、こりゃ珍しいもんだと思ったんでしょうね。長い間、自宅に保管していて、その後、民族資料館が開館された時、展示品のひとつにと、寄付したということらしいです」高見刑事は手帳のページを一枚めくって続けた。

 「それが、昭和49年、っていいますから、1974年のことですね。それから、調査のために、いったん宝物館に仮展示されていたらしいんですよ」
 「あの男が口にくわえていたのは、平家納経じゃなく、その鉄の棒だったのか?」神田は首をひねった。



 「おっと、肝心なことを忘れるところだった。さっき、宝物館で防犯ビデオをチェックしたんですがね。ひとり、大男が写っていたんですよ。それも、その、鉄の棒を展示しているケースの前で。ちょっと、確認していただきたいんですが。このテープですが。ここには、デッキは?」
 「あります」そう言って、高見刑事からテープを受け取り、デッキにセットした。
 テープが再生されるまで、高見刑事は質問を続けた。

 「大まかには聞きましたが、外人風で、大男で、と。他に何か思い出されたことはありませんか?」高見刑事は、ボールペンを取り出し、カチャ、と芯を出した。
 「いや、これと言っては別に。確かに、普通の男じゃありませんね、あれは。武術か何かの相当な使い手ですよ」と、ここまで言って、
 「そう言えば、一瞬手に触れた時、ヌルッ、とした感触で、スルッ、と手から滑り出ましたね。最初は雨で体が光っているのかと思いましたが、今思うと、あれは、油か何か体に塗っていたのかなァ・・・」
 「油を?」高見刑事は顔を上げた。
 「ほら、よく、寒い時には油を体に塗って泳ぐって、聞くじゃないですか」
 「なるほど。じゃ、奴は、泳いで上陸したと。もちろん、台風前でしょうがね」
 「その可能性もありますね。何しろ、あの体だ。船だと目立つでしょうし」
 「神田さん、この男ですか?」高見刑事は、画面を指差した。

 確かにあの男だ。何人かの外国人観光客に混じって、頭二つ飛び出している。男は、背広姿で、顔を隠す様子もなく、展示されている鉄の棒を凝視している。「ということは、目立つ、目立たないは関係ないってことか」
 「この男に間違いありません。これは・・・」
 「3日前の記録です。つまり台風の前々日です。おかしいでしょ?最初から顔も隠さず、じっと見つめて。これじゃ、私が犯人ですって言ってるようなもんだ。それとも、最初はそんな気はなく、その現物を見て思いつき、いったん、引き上げて、再度、今度は、台風前日に泳いでやってきたのか?」高見刑事は自分自身につぶやいた。

 「どうも、納得できる話じゃありませんね」神田は左手をテレビの上において画面を覗き込んだ。
 「で、男の捜索のほうは?」神田(かみた)は聞いた。
 「山狩りとかは・・・?」
 「いやー、今のところは、こそ泥一人ってとこですからねぇ。被害状況もよく分かってないし、これが、国宝でも盗られたっていうんなら話は別ですがね。それに、この状況でしょ。人手の問題もありますからね」
 「そうでしょうね。まぁ、あの大男なら、目立ちますから隠れようもないし、第一、あの土石流に巻き込まれたんじゃあ・・・」

この日の夜明け前、弥山(みせん)頂上から一羽の巨大な烏(からす)が飛び立った。

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