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第39話 日本で言えば、さしずめ、天狗、ってとこだ [ミステリー小説]

2005年(平成17年)12月 ネパール王国・パタン

パタンの中心部から少し外れた路地裏には、昼を少しまわった頃だというのに、喧騒(けんそう)も聞こえてこない。
 時折り、子供達が走り回り、「キャー、キャー」という声が聞こえてくるくらいだ。

 よく踏み固められた道は、リキシャ1台がようやく通れる幅しかない。その道の両側は、3階建ての、今にも崩れそうな赤レンガ造りの建物が長い壁のように並び、青い空がカーペットのように見える。
 
 そのレンガ壁には、青いペンキが塗られた分厚い木の扉が一定間隔で並んでいる。

 両手に黒いビニール袋を提げた、ひとりの男が、その中のひとつの扉を、器用に肩と足を使って、ゴトゴトッ、と開け、さりげなくあたりを見回して中に入り、再び、ゴトン、と扉を閉めた。

 狭く、急な木の階段を、ギシギシと鳴らし、4度ほど折り返して3階の部屋の前まで来ると、ビニール袋を持ったままの右手で、木の扉を暗号のようなリズムでノックした。

 しばらくして、中から、ガチャ、と、鍵を開ける音がして、扉が外向きに開いた。
中から肩幅の広い男が白熱灯の逆光の中から顔を出した。

 両手にビニール袋を持った男は、
 「ナマステェ!!多良(たら)さん」と、薄暗い階段の踊り場で、白い歯を浮かべた。
 多良月男(たらつきお)は、部屋から顔だけ覗(のぞ)かせ、
 「おお、ジテン、久しぶりじゃのぉ。元気かぁ?」小さな声でそう言うと、男の肩に右手を回して、部屋の中へ招き入れた。

 「ナマステ、多良さん」ジテンと呼ばれた男は部屋に入ると、ビニール袋を床に下ろし、顔の前で合掌をした。

 多良も、改めて、
 「ナマステ」と合掌をし、すぐに男の手を両手で握った。ふたりの男達は、握り合った拳を何度か揺すった。

 「大丈夫じゃったか?」多良は、窓のほうへ歩み、窓枠の錆びた釘に引っ掛けられたカーテンを少し開いて外を覗(のぞ)いた。
 「大丈夫だよ。途中、見かけないチベッタンが付いて来たから、ゴールデンテンプルの中を抜けてきたよ」ジテンと呼ばれた男も、多良の側(そば)に行き、薄汚れたガラス越しに通りを見下ろした。

 「そうか」
 「あいつら、チャイニーズか、メイビ、マオイストかもしれないね」
 「私、ゴム草履だから、テンプルの中、スッ、と、抜けたよ。あいつら、革靴履いてたからね。入り口で靴を脱ぐように言われて、脱いでいる間に裏口から出て、巻いて来たよ」
 ふたりは、そう会話しながら、窓から離れ、部屋の反対側にある、テーブルの横に置いてある座面のビニールが破れたパイプ椅子に座った。

 「そうか。しかし、警察の密偵かもしれんのぉ・・・」多良は眉間(みけん)に皺(しわ)を寄せた。
 「多良(たら)さん、それ・・・」ジテンは、言いにくそうにそう言うと、多良の頭を指差したまま、口を開けっ放しにして言葉を止めた。
 「ん?何?」多良は、怪訝(けげん)な表情を浮かべてジテンの顔を見た。

 「多良さん、それ・・・」ジテンは再び多良の頭を指差した右手をさらに突き出した。
 「ああ、これか」多良(たら)はそう言うと自分の頭に手をやって、
 「これはな。朝、目を覚ましたら、毛が生えてたんだ」そう言って、両手で髪の毛をかき混ぜた。
 ジテンは、ポカン、と口をあけたまま固まった。
 「ははは。冗談、冗談」多良はそう言うと、
 「ほら」と言って、髪の毛を剥(は)がした。

 その途端、ジテンは、
 「オー、ノー!!」と、目を剥(む)いて、のけぞった。
 「ははは、そんなに、ビックリするなよ!鬘(かつら)じゃ、鬘(かつら)じゃ」多良は愉快そうに笑った。
 「オー、多良さん、ビックリしました。一体、どうしたのですか?」ジテンはそう言うと恐る恐る多良の持っている鬘(かつら)に手を伸ばした。
 「はは、これから寒くなるからな。それに、これは変装じゃあ」そう言うと、薄くなった頭を、クルクルッ、と手で撫でた。
 そして、
 「ほら、ここに付け髭もあるぞ」そう言うと、木の机の引出しを、カタカタッ、と鳴らして長い口ひげを出した。

 「ビックリしました。でも、それ、いい考えだね。チャイニーズの目をくらますには」ジテンはそう言うと、多良から受け取った鬘(かつら)と付け髭をしげしげと眺めた。

 「で、手筈は?」多良(たら)は、真面目(まじめ)な顔になって、体を前に倒し、ジテンの顔を覗き込んだ。
 ジテンは、笑顔で、
 「OKだよ、多良さん。10日後には迎えの車が来ることになってるよ」と言った。
 「そうか。ありがとう。いつも世話をかけるな」多良は、ホッ、とした表情を浮かべた。
 ジテンは両手を前に出し左右に何度も振って、
 「何を言いますか。私のほうこそ感謝します。ダンニャバード」と、両手を顔の前で合わせ、頭を下げた。
 「多良さんがいなかったら、私は今でもハッパを観光客に売りつける商売してるよ。こうして、子供達を救う仕事を手伝うことが出来て、私、幸せね」と、手を合わせたまま言った。

 「こっちこそ、ありがとう。しかし、最近、マオイストの行動は過激になってるからな。国軍との衝突もしょっちゅう起こるし、俺たちの仕事にも支障が出てきたな」多良(たら)は再び、暗い影を額に浮かべ、鬘(かつら)を手に取った。
 ジテンは、瞼(まぶた)を半ば閉じ、
 「そうですね。いつになったらネパールは日本のように平和な国になるのでしょうか?多良さん」と言うと口を一文字に結んだ。
 「そりゃあ、俺にも分からんよ。国王は、ネパール共産党毛沢東主義派が続けている武装闘争が治安の乱れの原因だというし、毛沢東派は毛沢東派で、国王の独裁体制が原因だ、と、言うとるしな」多良はそう言いながら鬘(かつら)を頭にかぶり、鏡を見ながら右に、左に動かして調整した。

 「困るのはいつも貧乏人ね。だから、私は、多良さんに私たちの仲間になってもらいたいのです」ジテンは、多良が鏡の前に立っているのを後ろから眺めながら言った。
 「またその話かい?だめだよ。俺は、そんな新しい国とかいうユートピアは信用せんのんじゃ」多良は鏡の中に映ったジテンを見て言った。
 「多良さん。頑固ね。ハハハ」汚れた鏡の中でジテンの白い歯が見えた。
 
 多良は振り返ると、
 「ジテン。お前、気をつけろよ。お前は国王からも、マオイストからも狙われているんだからな」と、声をひそめて言った。
 「大丈夫だよ。多良さん。多良さんこそ、チャイニーズには気をつけてくださいよ」
 ジテンのその言葉を聞くと、多良は思いついたように、
 「そうだ、お前、その髪の毛を刈って、キキャ−と同じように坊主にしたらどうじゃ!」と言った。
 「ノー!!」ジテンは即座に否定した。


 「ところで、そのキキャーは?」多良は、本気になって嫌がるジテンに笑いながら尋ねた。
 「はい。何とか無事に手に入れたようです。そろそろ帰ってくると思いますが、まだ連絡はありません」ジテンはそう言いながら、ビニール袋から新聞紙の包みを大事そうに取り出した。
 「そうか。それは良かった」多良はその包みを両手で受け取った。温かさが、湿った新聞紙を通じて伝わってきた。
 多良は新聞紙の包みをゆっくりと開いた。
 ジテンは、
 「あの寺院にお供(そな)えしてある物と同じものが日本にあるらしいとは聞いていたよ。でも多良さんが偶然、あの、ミヤ、ミヤ・・・」と言うと、多良は、
 「宮島。ああ、これはうまそうなモモだな」と、目を新聞紙の上のモモに注(そそ)いだ。
 新聞紙の包みの中には、まだ湯気の立っているチベット餃子(ぎょうざ)のモモが20個くらい山になっていた。

 「そう、その宮島で、多良さんが偶然見なかったら、三本が揃うことは、今後、何千年もなかったと思うよ」
 多良はひとつつまむと口に放り込み、窓のほうへ歩み、木枠の窓を、ガタッ、と少し開け、「ピュイッ!」と短く口笛を鳴らした。

 通りの向こうの廃屋(はいおく)から10歳くらいの少年が顔を出した。多良は、少年に向かって2本の指を立てると、少年は、頷(うなづ)いて再び廃屋の暗闇の中に入っていった。
 「そうだな。日本に帰って、たまたま足慣らしに弥山(みせん)に登ったついでに宝物館(ほうもつかん)を見学して、そこで同じものを見た時は驚いたよ」
 多良はギシギシと床を鳴らしながら蟹股(がにまた)で戻ってきてパイプ椅子に再び座り、またひとつモモを口に放り込んだ。
 「モグモグ、しかし、あんなに強引(ごういん)にしなくても・・・モグモグ」
 多良は新聞紙の端で指先を拭(ぬぐ)った。
 ジテンも口を動かしながら、
 「だめだよ。まさか、ニマがチャイナのスパイだとは思わなかったからね」と強い口調で言い、さらに、
 「そのことを聞いてから姿を消したんだから、チャイナもあれを手に入れるために動き始めるのは分かっていたから。チャイナには政治力があるけど、私たちにはそんな力はないからね」と、早口で言った。

 「今回の仕事が出来るのは、多良さんから日本語を教わって、日本語が使えて、しかも腕が立つキキャーしかいなかったからね」ジテンは指を口に持っていき、指にくっついたモモの皮を下の歯ではがし、指をなめた。

 「確かに、あいつは、こっちへ来て育った村で伝統武道も身につけ、それに、あの体、まるでガルーダだからな」多良は厳(いか)つい肩をさらに広げ、自分の胸を張った。
 「ははは、ガルーダね。そう、力もあるし、走るのも速いし、まさに、ガルーダだね」ジテンは、多良の格好を見て愉快そうに笑った。
 「だろ?日本で言えば、さしずめ、天狗、ってとこだ」
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